はじめに:江戸時代のミステリー「うつろ船」とは何か?
「うつろ船」は江戸時代から伝わる奇妙な円盤型の船にまつわる伝説で、現代のUFO現象に通じる側面を持つ不思議な出来事です。
この伝説は、1803年の常陸国(現在の茨城県神栖市)の浜辺に漂着した謎の円盤型の船と、そこから現れた赤毛の女性について記録されています。この船の形状や未知の文字は、現代で報告されるUFO目撃談と驚くほど似ています。
「うつろ船」の伝説は、文献『兎園小説』や『弘賢随筆』に記録され、特に船の形状が香盒(こうごう)に似た円盤型であった点が特徴的です。また、船の内部には異様な文字が記されており、これはアルケミー(錬金術)記号や外国文字とも考えられています。
このように「うつろ船」は、当時の人々が未知との遭遇を記録した貴重な事例であり、現代でもUFO研究者や民俗学者の間で議論が続いています。
船の形状が香盒(こうごう)に似ているとありますが、その画像を張っておきます。どう見てもUFO・・・
伝説の背景と記録
文献に記されたうつろ船
「うつろ船」の伝説は、1803年の常陸国(現在の茨城県神栖市)で報告された漂着事件に端を発します。この事件は、当時の知識人や文人が複数の文献に記録しており、今日まで語り継がれています。代表的な文献として以下が挙げられます。
- 『兎園小説』
滝沢馬琴が1825年に執筆した奇談集です。ここには、香盒(こうごう)のような円盤型の船や、赤毛の女性、内部に記された未知の文字について詳細に記されています。この船は鉄製で底部が頑丈に作られており、当時の技術では考えられない精巧さが特徴とされます。 - 『弘賢随筆』
江戸時代の学者・屋代弘賢が記した文献で、「うつろ船」の漂着地や構造について具体的な描写が含まれています。特に船内にあった異様な文字が錬金術記号と似ているとの指摘があります。 - 『伴家文書』
2014年に発見されたこの文書には、「うつろ船」の漂着地が「常陸原舎利浜」と特定されています。伊能忠敬の測量地図にも記載されている実在の地名であることが確認され、信憑性が高い資料とされています。
具体的な内容と描写
「うつろ船」の詳細は、以下のように記録されています。
- 船体の構造
船の全長は約3間(約5.4メートル)で、形状は半球状の円盤に近いものでした。表面は松脂(まつやに)でコーティングされ、ガラス製の窓が備えられていたといいます。このような設計は、現代のUFO目撃例における「金属的な外観」や「透明な窓」との共通点があります。 - 船内の様子
船内には、2尺四方(約60cm)の箱があり、これを持った赤毛の女性が発見されました。箱の中身は不明で、女性が離そうとしなかったため、未だ謎のままです。また、船内には食料や水が整然と保管されていたことも記されています。 - 未知の文字
船内には「蛮字」と呼ばれる未知の文字が多数書かれていました。これについては、錬金術記号や外国文字、あるいは宇宙文字ではないかと様々な解釈がされています。
当時の描写を読めば読むほどUFOですよね・・・一番有名なのは1803年の例ですが、他にも数例記録が残っているようです。それにしても沿岸に漂着しているというのが現代のUFOでは聞かない話ですよね。赤毛の女性は言葉が通じずに、上に報告すると雑費がかかるという理由で、沖に追いやってしまったそうです。う~む、もったいない・・・。
「うつろ船」の解釈
研究者の中には、「うつろ船」を外国人漂着の一例とする意見があります。江戸時代の鎖国政策下で、外国船の漂着や異文化との接触はタブー視され、記録が隠蔽されることもありました。一方で、UFOとの関連を示唆する説も根強く、「円盤型の船」と「未知の文字」がその根拠とされています。
うつろ船とUFOの共通点
形状と技術的特徴
「うつろ船」とUFOには、円盤型の構造や未知の技術を思わせる特徴が共通しています。うつろ船は香盒(こうごう:丸い香炉)に似た形状と記述されており、現代のUFO目撃談における「円盤型の飛行物体」との類似性が注目されています。また、船体の設計は金属的な質感を持ち、現代技術では説明が難しい点もあります。
うつろ船の表面は松脂で塗装され、底は鉄製で頑丈な構造が記録されています。この記述は、現代の航空技術を彷彿とさせるものです。一方、船内に記された「蛮字」については、錬金術記号や異文化由来の文字と解釈されていますが、UFO研究者の中には「宇宙文字」と関連付ける説もあります。
これらの特徴が、当時の知識人たちが「うつろ船」に抱いた神秘的な印象を強めるとともに、現代のUFO研究とも繋がりを示唆しています。
異文化との接触か異星人との遭遇か?
うつろ船の発見は、異文化接触か、あるいは異星人との接触を示唆している可能性があります。船内で発見された赤毛の女性や未知の文字、船体の技術的構造は、江戸時代の日本人にとって未知の存在でした。この点から、「外国船の漂着」説と「UFO漂着」説の二つの解釈が存在します。
茨城県神栖市での漂着伝説において、船内の女性は異国の王族の娘である可能性が議論されました。一方で、UFO研究者は、円盤型の船や未知の言語が地球外生命体との遭遇を示すものと考えています。
異文化の象徴ともいえる「うつろ船」は、当時の鎖国政策下で外国文化が排除されていた背景を持つ一方で、UFO現象の初期記録としても注目されています。
外国船の漂着説は、一応わずかながら残っていそうですよね。赤毛で言葉が通じない女性はロシア人を連想させますし。ただ、当時に5メートルくらいの船で日本の太平洋沿岸まで漂着するのは食料的に現実的なのかといった疑問は生じますね。
おわりに:科学と伝承の狭間で
江戸時代に記録された「うつろ船」の具体的な描写は、当時の文化や技術では説明が難しい点が多く、これが現代のSF作品やUFO研究のインスピレーション源となっています。例えば、船体の円盤型構造や未知の文字は、現代のUFO描写に通じるデザインが特徴です。一方、漂着事件としてのリアリティは歴史的文献によって裏付けられています。この「歴史」と「SF」の境界にある物語が、多くの人々を惹きつけてやみません。
「うつろ船」は、過去の出来事を未来への想像力に繋げる優れた例であり、歴史とSFが交差する興味深い題材です。
私は「うつろ船」はUFOだと思います。過去の文献に書かれたイラストを見てもUFOそのものです。海に浮いていたというのが現代と違いユニークな点ですが、もし仮に現代に海に浮かんだUFOが発見されれば、「うつろ船」=UFO説はより強固な物になるでしょう。