驚異の地下都市!カッパドキアの古代要塞とその秘密に迫る

奇妙な遺産

トルコのカッパドキアといえば、奇妙な岩山とバルーンツアーが有名ですが、地上の美景に負けず劣らず不思議な存在が広がっているのが「地下都市」です。これはまるで現代版シェルターのような施設で、見つかるたびにその謎めいた構造が私たちを驚かせます。今回は、古代の人々が迷路のように掘り出した地下都市の歴史、謎、生活についてご紹介します!

地下都市の始まり:敵からの避難場所として掘られた秘密のシェルター

当初、この地下都市は「地下倉庫」として使われていたそうですが、フリギア人という厄介な敵が現れたことで、地下トンネルをつなげて避難所にするアイデアが生まれました。その後、4世紀にはキリスト教がローマ帝国の国教に指定されるまで、迫害を逃れるキリスト教徒たちがこの地下都市に住みつき、まさに「地下生活」を営んでいたとか。

地下の部屋には、寝室から馬屋、キッチンにワインの醸造所まで、必要なものが全て揃っています。地下にいながら、ちょっと贅沢な「地下ワイン」も楽しめたわけですね!

代表的な地下都市

カッパドキアにはいくつもの地下都市がありますが、ここでは代表的な2つを紹介します。

デリンクユ地下都市:秘密の都市生活

最も有名なカッパドキアの地下都市「デリンクユ」には、ピーク時に4万人もの人が住んでいたとされ、広さはなんと約4平方キロメートル!地下16階まで続くこの迷宮には、寝室や学校、ワイナリーに羊小屋、貯水池など、なんでも揃っていました。まるで小さな「地下シティ」です。しかも、この地下都市はただの隠れ家ではなく、防衛に特化した設計が施されています。通路には外敵が入ってこないよう狭い箇所があり、巨大な石板で扉を閉じられる構造。もしも侵入者が迫ってきたら、見張り台から各階にたいまつで知らせることもできたそうです。

地下1階から3階にかけては、ワイン作りや畜産を営みながらの暮らしが繰り広げられていたとか。もしかしたら、地下生活の息抜きに「地下パーティー」も開かれていたかも?

カイマクル地下都市:アラブ人の脅威からの避難所

デリンクユに匹敵するもう一つの地下都市「カイマクル」は、地下10階にも及ぶ巨大な構造。ここには宗教的施設があり、敵からの脅威に備えた防御設備も整っています。なんと、通気孔を通して常に新鮮な空気を確保し、各階で分厚い石板で外からの侵入を防ぐことが可能でした。カイマクルでは20,000人もの人が一時的に避難できたとされていますが、ここまで地下に潜っていたら、もはや地上の景色が恋しくなりそうです。

ちなみにこの「カイマクル」から「デリンクユ」の距離は10キロほどですが、当然のごとく地下通路でつながっています!どこまで掘ったら気が済むんじゃ~。

カッパドキア地下都市の謎

驚きなのは、これだけの規模の地下都市を掘り出した土や岩はどこに消えたのかが不明な点です。こんな地下都市を作るのに一体どれほどの時間がかかったのでしょう?さらに、誰がこれを作ったのかも定かではありません。ヒッタイト人やフリギア人が関わっているのでは?という説もありますが、碑文や装飾がほとんど見つかっていないため、年代すら断定できていないのです。あまりのミステリアスさに、古代の異星人説を唱える人までいますが…それはさておき…、ここではだれが作ったのか、実際の生活(トイレとかどうしてたの・・?)とかを深堀りしてみます。

誰が作ったのか? ヒッタイト人、フリギア人、ペルシャ人?

地下都市の作り手に関してはさまざまな説が飛び交っています。紀元前15世紀~12世紀頃にこの地で栄えたヒッタイト人が最初のトンネルを掘ったのでは?という説もあれば、フリギア人やペルシャ人によるものだという説も。伝説によれば、ペルシャの王が地下宮殿を建設したという記録もあり、ペルシャ説が支持されることもありますが、未だ確かな答えは見つかっていません。一番有力なのは、古代(紀元前5000~6000年頃にこの地に住んでいたヒッタイト人が、食料保存のために地下に倉庫を掘り、それが歴史を辿るにつれて、巨大化、要塞化したという説です。

地下生活の工夫:トイレや照明はどうしてた?

地下での生活といえば「トイレ問題」も気になります。地下1階から3階は住居エリアだったため、基本的には外で用を足していたそうです。敵襲の際にはさらに深い階へと潜り、トイレとして土器を使用し、使ったあとは砂をかけておくという手法で対処していたとか。

また、地下は暗く照明も欠かせませんが、ランプやろうそくの跡が残っているため、ところどころに照明を設置していたようです。紀元前1000年頃には油に火を灯してランプ代わりにしていたと考えられます。とはいえ、広大な地下都市を照らすには相当量の照明器具が必要となるので、う~ん…やっぱり宇宙人では?と思ってしまいたくなる気持ちはわかります。天井には日光を取り入れる通気口もあり、この穴が垂直に伸びていたため、どの階にいても、通気口の下であれば光は届くように出来ているそうです。

地下都市の規模が示すものは?

さて地下都市ですが、まだ全貌は把握できていないようです。ある所では、地下18階まである部分も確認できているということですから、相当広い空間が広がっていることは間違いありません。最近のドイツの研究によると、スコットランド北部まで地下トンネルが続いていた可能性があるとか。GoogleMapで確認したところ、約5000Kmもあります(笑)。さすがにそこまでは続いてないだろうとは思いますが、同じくトルコで見つかった遺跡、ギョベクリ・テペとは500km程度の距離です。もしかしたら地下都市の入り口の1つがギョベクリ・テペだったということは十分あるのではないでしょうか。こちらも今後の発掘調査が待ち望まれます。

不思議管理人
不思議管理人

まったく関係ないと思っていたギョベクリ・テペ遺跡との関連も匂わせる書きっぷりにしてみましたが、皆さんはどうお感じでしょうか?古代の謎を追い求めていくと、意外なところで点と点が線になることがあります。果たしてこの点はどこにつながるのか。今後の調査にも目が離せません!

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