モヘンジョダロ—その名前だけでロマンとミステリーがいっぱいです。インダス文明の計画都市として知られ、1922年に発見されたこの遺跡には、現代にも通じる優れた都市計画が見て取れます。碁盤の目状に整備された道路、レンガ造りの家屋、井戸や排水システム、穀物倉庫や大浴場など、当時としてはハイテクすぎる街が広がっていたわけです。推定人口は35,000~40,000人で、かなりの規模ですが、なんと王宮や宮殿は一切なし! 何という庶民派の街なんでしょう。
そんな繁栄を誇っていたモヘンジョダロも、紀元前1800年頃に突如として放棄されました。この謎に対して、一部の研究者(とオカルト愛好家)が飛びついた説があります。それが「古代核戦争説」。ちょっと想像してみてください。今から4000年前にインダス川沿いで核戦争が勃発していたら…それってすごいと思いませんか?
古代核戦争説:本当にそんなことが?
この大胆すぎる核戦争説は、主にインドの叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の壮絶な戦闘シーンから派生しています。これらの古代文献には、まるで核爆発を思わせるような記述があり、それを現代の核兵器に結びつける解釈がなされているんです。なんともスケールの大きい話ですね。
さらに、モヘンジョダロの遺跡から発見された「高温でガラス化した岩石」が、核爆発の証拠とされています。このガラス化した岩石は、まさにアメリカの核実験場で見つかる「トリニタイト」とそっくりなものだと言われています。これに加えて、遺跡からは放射線を浴びた人骨も発見され、「古代に核戦争があったんだ!」という説に拍車がかかりました。
近年の発掘調査:ガラスの町は本当にあったのか?
ところが、ここにきて近年の発掘調査がこのロマン溢れる説に冷や水を浴びせるような結果を出しています。まず、ガラス化した岩石についてですが、これを実際に見たのはわずか2人の研究者だけで、しかもその場所も詳細も未公開。なんだか怪しさが漂ってきますよね。さらに、放射線を浴びた人骨の話も、どうやら信憑性が低いようです。
また、モヘンジョダロが突然崩壊したのではなく、ゆっくりと衰退していったことが分かってきました。かつて「一瞬で破壊された」とされていた焼けたレンガも、実際には都市で発生した火災の跡であることが明らかになりつつあります。どうやら、この都市は徐々にスラム化していき、社会秩序が崩壊していったのが実情のようです。あの「ガラスの町」はどうも幻想だったようですね。
考察:古代核戦争はロマン、それともただの噂?
結論から言えば、古代核戦争説はかなりロマンチックですが、現実的には科学的根拠がほとんどないということです。確かに、インドの叙事詩の戦争シーンは、現代の核爆弾を思わせるものがありますが、それをそのままモヘンジョダロに当てはめるのは少し飛躍しすぎかもしれません。
結局のところ、モヘンジョダロは環境変化や食糧不足、そして社会的な衰退が原因で崩壊したと考えられます。都市の排水システムが機能しなくなったり、農地が乾燥して作物が育たなくなったりと、私たちがよく知る「普通の」理由で滅びたのです。まあ、核戦争よりは現実的ですが、ちょっと地味ですよね。
結論
結局、モヘンジョダロで核戦争が起きたという説は、現代の私たちの想像力が生み出した壮大な都市伝説のようなものです。ロマンはありますが、科学的な証拠はほとんどないのが実情です。それよりも、この都市がどのように機能し、どのようにして滅んだのかを探る方が、実はもっと面白いかもしれません。
あなたはどう思いますか?ロマンティックな古代核戦争説に惹かれるか、はたまた地味だけれど現実的な解釈に納得するか。モヘンジョダロの謎を巡って、あなたも一緒に歴史のロマンに浸ってみませんか?
モヘンジョダロはどうやら普通の理由で滅びたことがわかってきたけど、インドのマハーバーラタのように、古代には核爆弾の特徴をよくとらえている神話などもあり、古代核戦争がなかったとは言い切れないと思ってます。引き続き調査は継続します。