1914年、オーストリア=ハンガリー帝国のフェルディナンド大公が愛する妻ゾフィー妃と共にパレードに参加するため、真紅の特注ベンツを用意しました。この豪華な6人乗りの車で盛大な記念日を過ごすはずが、サラエボ事件として歴史に刻まれる悲劇が二人を待っていたのです。大公夫妻はパレード中にテロ組織「黒手組」の青年により暗殺され、この出来事が第一次世界大戦の引き金に。ここから、大公の愛車は「呪われた車」として数奇な運命をたどることになります。
呪われた車に次々と襲いかかる悲劇
暗殺事件後、この車の所有者たちは次々と悲劇に見舞われます。まず、車を受け継いだのはポティオレク将軍。サラエボ事件の際に車に同乗していた彼は、所有者となってわずか20日で精神を病み、そのまま病院で亡くなりました。
その後、車はポティオレク将軍の部下、ドスメリア大尉の手に渡りますが、大尉は所有からわずか9日後に大事故を起こし、2人をはねて自分も事故死。そして、今度はユーゴスラビア州知事がこのベンツを購入しましたが、4か月の間に4回もの事故に遭い、挙句の果てには右腕を失う大けが。ついに耐えかねた州知事は「死神がついている」と言い残して、この車を友人に譲渡します。
しかし、その友人であるサーキス医師も6か月後にこの車で命を落とし、次に所有したオランダの宝石商は、有名になろうとこの呪いの伝説に乗っかりますが、ついに耐えきれず1年後に自ら命を絶つという結果に。誰が乗っても「次は自分の番?」と思わせる恐ろしい車へと変わってしまったのでした。
さらに、車を所有したスイスのレーサーはレース中に事故死し、続くオーストリアの農業家は所有してわずか2日で壁に激突。サラエボの農場主コルシュは慎重に運転していたにもかかわらず、車の故障で引きずられて命を失います。最後に、この車の修理を担当したヒルシュヘルトは「色を変えれば呪いも解ける!」と信じて色を黒に変えましたが、4人を巻き込む事故を起こして命を落としました。
呪いは本物か?都市伝説か?
現在、この「呪われたベンツ」はオーストリアの軍事博物館に展示されています。サラエボ事件の車が展示されているのは事実ですが、当初から黒色の車であり、1914年~1944年まで展示され、第二次世界大戦の空襲で一部が破壊。その後修理され、1957年からは現在まで継続して展示されているようです。このことからも「呪われた車」のエピソードの多くが、実は後から作られた噂話の可能性が高いとされています。
ただ、あまりにも多くの悲劇が語り継がれ、さも事実であるかのように人々を魅了し続けているのも確かです。もしかすると、第二次世界大戦中の空襲で跡形もなく破壊され、現在展示されているのは都市伝説の中で語られる「呪いの力」を持つ車なのかもしれません…。信じるか信じないかは、あなた次第です!