16世紀のオスマン帝国に仕えたムーア人でありイスラム教徒の海軍提督、ピリ・レイスが残した「ピリ・レイスの地図」。1513年に製作されたにもかかわらず、現代でも驚くべき正確さを誇るとされ、その中には南米大陸や南極大陸の形状が詳細に描かれているため「神秘の地図」として名高いものです。出自や目的を巡り、さまざまな謎が囁かれてきたこの地図には、現代の我々が抱く以上の「未知への想い」が詰まっているかもしれません。
ピリ・レイスの地図、その驚きの正確性
地図が注目される理由の一つは、16世紀の航海術や地理学の水準では考えられないほど正確であるという点です。南米の東海岸はもちろん、氷に覆われていなかったとされる時代の南極大陸の形状も描かれているとの説があり、「ピリ・レイスの地図は失われた古代文明の知識が使われたものではないか?」との仮説が生まれました。南極大陸の発見は1820年とされており、もし本当に南極大陸が描かれているのであれば、相当昔に人類は南極大陸にたどり着いていたことになります。
さらに、地図の制作には「等距離図法」という手法が用いられており、イスラム教徒であったピリ・レイスは、聖地メッカのカーバ神殿からの距離を基準に描いた、と考えられています。地理的中心としてメッカを用いる等距離図法は、当時のイスラム世界では地図作成の基本とされ、ピリ・レイスもこの技法を地図に活かしたことがわかります。これが正確性に一役買ったとも言われています。
ピリ・レイス、イスラム教徒の冒険家であり、ムーア人の地理学者
ピリ・レイスは、ムーア人の血を引くイスラム教徒で、オスマン帝国の海軍提督として活躍しました。多くの航海や冒険を重ねて培った知識をもとに、さまざまな船乗りや探検家が集めた情報を集約し、世界各地の地形や海流、海岸線などの情報を組み込んでいます。この地図は、彼が持っていた科学的知識と、冒険家としての実地経験の融合とも言えるでしょう。
この地図をピリ・レイスがオスマン帝国の総督に献上した背景には、帝国が強大な支配を拡大するための意図があったともされています。地図には政治的な要素もあり、彼が単なる海軍の指揮官ではなく、地理学者としても優れていたことがうかがえます。
超古代文明の記憶?神秘の地図が示すロマン
また、「南極大陸の氷に覆われる前の地形を描写している」という説を支持する人々の中には、「この地図が数千年前の情報に基づいている可能性がある」という意見もあります。これにより、アトランティスや超古代文明が存在していたという説と関連付けられることもありますが、歴史学者たちの多くは「当時の南米やアフリカ南端の形状が、後世に南極と誤って解釈されたのではないか」という見解を示しています。
地図を詳細に分析すると、異なる地域の航海者たちが持ち帰った情報が複合的に反映され、当時の知識が精一杯の形で表現されていることがわかります。
ピリ・レイスの地図、古代から未来への「好奇心」
最終的にピリ・レイスの地図が私たちに教えてくれるのは、彼が持っていた「地理学的知識と未知を探求する力」です。この地図は、単に航路や陸地の位置を描くためだけのものではなく、私たちに「過去の知識の奥深さ」や「未来への探求」を投げかけてきます。
その正確性が偶然か、意図されたものかは別として、ピリ・レイスの地図は古代の知識を現代に伝える「奇妙な遺産」として語り継がれ、これからも人々の好奇心をかき立てる存在であり続けるでしょう。
YouTubeでピリ・レイスの地図の関連動画を検索すると、メッカからの等距離図法で書かれていて、今のGoogle Earthで見た地図と一致するという説に出合いました。Google Earthの図と一致するのはかなりの説得力があり、やはり正確な測量術と、南極沿岸までたどり着く航海術が当時からあったのではないでしょうか。